日本古来の左側上位------恋塚太世葉 第二回


 現在、披露宴での新郎新婦の立ち位置、披露宴のメインテーブルでの並びは(新郎新婦本人から見て)右側上位の考えで並ばせますが、これは明治以降の話です。江戸時代以前、日本は左側上位だったというお話をします。
 大和朝廷の頃から、当時日本の文化には中国の教えが反映されます。694年の藤原京を皮切りに平城京、長岡京、平安京、京都御所など天皇の宮殿は南向きに作られています。南側には南大門があり、客人はこの南から入門し帝の前へ進みます。つまり帝は必ず南を向いて座っている訳です。これは中国の教えで「天子南面」と言って「帝たるものは陽(太陽)に向かって座るものだ」という考えです。帝から見て正面が南、左が東、そして右が西となります。また帝から見て左に左大臣、右に右大臣を構えるわけですが、左大臣と右大臣では左大臣の方が位が上になります。それは左大臣が東に位置しているからです。太陽は東から昇り西に沈みます。陽の昇る方が位が高いと定めた事に由来しています。

 この考えから日本では左側上位の考えが始まります。検証は出来ていませんが江戸までの結婚式(自宅婚式)では左側上位で式に臨んだのでしょう。またお雛様にはその名残りもあります。
 江戸時代以前(左側上位時代)は天皇は京都にいたわけですが現在でも京雛と言って関西式のお雛様とお内裏様は左側上位で並べられています。一方明治以降天皇は東京へ移りそして右側上位が取り入れ関東式お雛様とお内裏様も左側上位(現在新郎新婦の並び)で並べられています。
 披露宴ではスタッフが新郎新婦を右左正しく座らせますが、飲み屋での友人主催の2次会になるとそこまでの考慮もなく、逆に座らせてしまっているような光景をみることも屡々あります・・・。


恋塚太世葉

HP
著書:ブライダル司会ハンドブック(杉並けやき出版)、ブライダル博士のハンドブック(杉並けやき出版)


戻る